2010年11月19日金曜日

夕張セッション第1章「夕張歴史学」11/10

きたかんリポータきのっちです。私的な不在により活動報告が押し押しになっています。本日の話題は石炭。オイルショック生まれの私は北海道に来て初めて実物を見ました。石炭からも「きたかん.net」は学びます。実際の地域を使った観光まちづくりを、地域側と学ぶ側で対話しようと、先日2010年11月10日(水)18:30~21:00まで@札幌キャリアバンクにて「夕張セッション」第1章という、3回シリーズの勉強会初回をひらきました。タイトルは『夕張歴史学』。講師を含め17名が参加しました。

【写真-1】炭鉱の話は非常に面白い

まちづくりとか中心市街地活性化の業界(?)では、よく「先進地視察」を行いがちです。まぁそれもよいのですが「ダメになった結果検証」にこそ、学ぶべき点があると私は考えています。とはいえ失敗を認め外部に見せることに対し、抵抗を示すこともありましょう。そうした中、前向きメンバーによって夕張から学ぶ機会を、<a href="http://yubari.org/" target="_blank">地元NPO</a>あらだてさんが中心となって作りました。夕張から参加しているきたかんメンバーがいてこそ、こうした企画が実現するわけです。なお、きたかんの有志では「夕張ユニット」を結成して現地を学び、各自できることから夕張の映画祭などを支援しています。

【写真-2】夕張の破綻以降のスクラップ(思わず読み入ってしまう)

ご存じの通り、エネルギー政策の転換期まで、国策で栄えたまちの一つが夕張市です。この日きたかんメンバーは元学芸員の青木さんからまちの歴史を学び、理解を深めました。明治政府お雇いの鉱山学者ライマンによる石炭の発見から始まり、炭鉱や鉄道の整備、そして閉山をうけて「炭鉱から観光」に転換を図った頃までを、駆け足で語りました。青木さん自身も産炭地である三笠の出身で、学芸員として夕張に暮らし、炭鉱を中心に地質や民俗、交通、産業技術、文化など広がる興味の対象を極めてきた人です。

【写真-3】青木さんは学芸員の専門性を活かした、夕張の起業家でもある

Q&Aタイムでは
・なぜ炭鉱から観光に転換したの?
・修学旅行生の博物館見学は、年間どのくらいの来館数?
・博物館の老朽化、それを運営する民間企業ではどう考えます?
・移動性の高さが炭鉱人の特徴。なら夕張の高齢者はなぜ残っているの?(いく先がない or 不便はあっても夕張が暮らしやすい or 近所のつながりがあるから?)
・観光にシフトしても、女性パートの仕事のほうが多い。炭鉱マンは大部分が不要になったはず。彼らはどこに仕事を求めた?

こうした、沢山のQQQQ・・・が青木講師に寄せられました。
そして一端、会場はお開きとして、居酒屋に移動しさらに盛り上がりました。

【写真-4】片づけ。皆でやるのがオキテ

【きたかんゲスト~講師紹介】
青木隆夫 氏 <a href="http://yubari-resort.com/hakubutsukan/" target="_blank">夕張市石炭博物館</a> 元館長
あわせて「夕張地域史研究資料調査室」を起業し室長に就任。
法政大学法学部の政治学科で准教授としても活躍中。

主な著書(&共著)
○『新体系日本史11産業技術史』」「鉱業技術史」(山川出版 2001年)
○『日本歴史地名大系北海道の地名』「夕張市」(平凡社 2003年)
○『炭鉱―盛衰の記憶―』(北海道新聞社 2003年)
○『歴史と地理』「炭鉱町の形成と発展」(山川出版社 2004年)
○『夕張あの頃の炭都』(河出書房新社 2007年)

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